涅槃会(ねはんえ)に因んで
二月十五日は涅槃会です。お釈迦様がお亡くなりになった日です。
お釈迦様はお亡くなりになる直前に、集まってこられたお弟子様達に、最後のお示しを説かれました。そのお示しが仏遺教経(ぶつゆいきょうぎょう)としてまとめられています。
この仏遺教経に「不妄念(ふもうねん)」という教えがあります。「妄念しない」念を忘れないということです。
「不妄念ある者は、諸々の煩悩の賊(ぞく)、則(すなわ)ち入ること能(あた)わず。」と説かれています。
「念を忘れない人は諸々の煩悩に振り回されない。」ということです。
念とはどういう意味でしょうか。辞書を引くと一般的には「思い」とか「気持」という意味になりますが、仏教では心の働きを意味します。
「念」という字は「今」という字の下に「心」と書きますように、刹那刹那(せつなせつな)の心の働きです。つまり時を止めることはできないこの世において、私たちは今しか生きられない。その今を大切しなさいというお示しなのです。
「汝ら常に当に念を摂(おさ)めて心(むね)に在(お)くべし」とも説かれています。おさめるという字には物事に摂する「摂」という字が充てられており、むねという字には「心」という字が充てられております。
今今の連続の人生の中で刹那刹那の自己に摂し、その自己を忘れずに心に置いておきなさい。ということでが、日常生活でこれはなかなか大変です。刹那刹那の自分の心と向き合いながら、お仕事をしたり買い物をしたりと、いったいどれが自分の心なのか分からなくなってしまいます。ですから私は、この不妄念の実践が坐禅であると思っています。坐禅を組んでおるときには、様々な自分の思いが尽きることなく浮かんできます。しかし、その様々な思いに振り回されることなく、ただ黙って坐っているだけなのです。
自らの意識とは関係なく、自然に刹那刹那の自己に摂し、また煩悩に振り回せることもない修行なのです。
皆様も是非一度坐禅を組んでみて下さい。
禅昌寺禅昌寺住職 横山泰賢