2018年5月
愚癡なる人
曹洞宗の御本山永平寺の御開山道元禅師様に、一人の年老いた尼僧様が仕えておりました。その方は、むかし身分のある御婦人であったようで、いまのご自分を卑しんで、何かといえば、人に対して「昔は身分のある婦人であった」と話され、周りの人にそのように思われたいと考えていたようです。
私達も、その様に人に良く思われたいという気持ちがあるものですが、道元禅師様は、「詮なき事」「何の役にもたたない、全くいらないことだ」、と示され、戒めておられます。
愚癡とは口に出していう言葉のことと思いがちですが、昔はその人の生き方を指していたようです。
漢和辞典を開いてみると、「禺(グ)」が、さるに似たナマケモノの形で、下に心ですから、「心の働きが鈍い」という意味を表すそうです。
ぐちの「癡」は、人が病で寝台にもたれる形を表し、「物事にうまく対応できない病」おろかの意味を表すそうです。
私たちは、自分の思い通りにならい時や、自分の都合に適わない事などがあると、ついつい愚痴を言ってしまいますが、言葉はそのままその人そのものですから、「愚痴なる人」にならぬよう、お互いに気を付けたいものです。
禅昌泰賢
「いずれ菖蒲(あやめ)か杜若(かきつばた)」???
「いずれ菖蒲(あやめ)か杜若(かきつばた)」???
さて皆さん、日本の故事・ことわざでもよく知られる言葉ですが、このことわざの意味や由来をご存知ですか?
【意味】これらの花(アヤメとカキツバタ)は、とてもよく似た美しい花であり、区別することが困難なことから...
①どちらも優れていて、選択に迷う(優劣が付け難い)ことの喩え。
②主に女性の美しさ(何れ劣らぬ美人)に比喩される。
【由来】平安時代末期の武将・公卿・歌人である源頼政が怪しい鳥を退治した褒美として、側室となる”菖蒲前”という美女を賜る時に、十二人の美女の中から選び出すように言われて詠んだ歌が由縁となっています。
このことに関連して、よく似ていて区別が付かない!?と言えば、菖蒲(アヤメ)と菖蒲(ショウブ)があります。
実は、漢字で書くと全く同じで区別が付かないんですね...
ですが、上記のことわざ(アヤメとカキツバタ)とは相反して、アヤメとショウブは漢字が同じでも全く違う植物なのです。
【種別】アヤメは、『アヤメ科』の植物で、ショウブは『サトイモ科』の植物になります。
【語源】ショウブの葉がアヤメの葉に似ていることから、アヤメの漢字(菖蒲)とショウブの漢字が混同されてしまった!?
余談ですが、5月5日の子供の日(端午の節句)に厄払いとしてお風呂に入れる花菖蒲(ハナショウブ)は、アヤメ科の花ですので、「ショウブ湯に入る。」と云うのは、少し矛盾がありますね。。。※実際には、私も含めて皆さんアヤメ湯に入っているんですね(笑)
見た目の違い(見分け方)をごく簡単に説明しますと、花基部(花弁の元)に、花菖蒲は黄色、杜若は白、菖蒲は網目状の文目(あやめ※語源との説あり)模様が、それぞれあることで区別ができます。
最後に(これが一番言いたかったことなのですが)、禅昌の本堂傍にある小池に今年も奇麗な紫色の花が咲きました。
※答えは申しませんので、皆さん実際に花基部を近くでご覧いただいて、ご自身で判断してみて下さいね。
長くなりましたが、皆さんに少しでも興味を持っていただければ幸いですので、これからもよろしくお願いします!!
みなさんはじめまして! 僕が禅昌寺のアイドル、 愛犬”ラッキー”です!!
「はじめまして!禅昌寺のマスコットこと、カープ大好き”ラッキー”でーす!!
僕が応援すると、カープはいつも勝つ(逆転、連勝する)ので、三連覇すること間違いなしです!!
みなさん、ぜひ禅昌寺に会いに来てくださいね~」
合掌